明治安田生命 presents 小田和正コンサート「その日が来るまで」

2011/08/16

仲間への想いと音楽のために

小田和正 仲間への想いと音楽のために


                                                           Eye-Ai 掲載記事  MARCH 2007

はるか昔から、そして今日にいたるまで多くのミュージシャンを志すものたちが、間違った道を選択してしまっている。彼らにとっての音楽とは、名声を得るものに過ぎない。そして、計り知れないほどの富を持ち、称賛を浴び、もてはやされていき、自己満足に陥る結果へと事実上なっている。本当に音楽を手段として成功を遂げた人の数は、チャレンジし、失敗してしまった人々に比べ、わずかに過ぎない。

しかし大物ミュージシャンのなかで、そういった名声を博することに失望を表明した人も少なくない。ギターの名手エリック・クラプトンは、“成功は、たったひとかけの幸福さえも与えなてくれない”と嘆いた。これは、世界中のファンに衝撃を与えた一言だった。ポップアーティストの大御所、ジョン・レノンやジョージ・ハリソンは世界中から脚光を浴びる生活にひどく嫌悪感を抱いていたことでよく知られている。ハリソンはかつて“もしもこれが、俺たちが必死になって手に入れたものならば、俺は自分の人生を取り戻したい”と皮肉を言ったことがある。あの、おおらかな性格のボブ・ディランでさえも、“今自分が若ければ、建築家の道を選ぶだろう”とさえ断言した。では、なぜ彼らはこのような発言してしまうのだろうか?おそらくファンと親しく語り合い、互いに楽しいひと時を過ごす空間をつくるたたなのではないだろうか。

日本において、エリック・クラプトンやボブ・ディランたちと同じ気持ちを持つアーティストがいるとは、とても思えない。それとも、いるのであろうか?日本のアーティストは1年に2枚のアルバムを出し、観客で溢れかえる会場の中、1年中ツアーを行っている。こうしたことをずっと続けられるのは、富や名声に目がくらんでしまっているからだろうか?20年以上にわたり日本で音楽の批評をしている者として、私は、一儲けして辞めてしまうミュージシャンと、ファンや仲間のためにいい音楽を作り続けるアーティストとの見分けをつける自信はある。






私は小田和正を一儲けして辞めことができたアーティストだと考えている。1969年から解散の1989年まで、20年続いたグループ、オフコースのメンバーでまたリーダーであった彼は、ヒットグループの道を歩み、引き続きソロ活動でも成功を収めている。

オリコンチャートでも最年長1位の記録を持ち、その存在はベテランアーティストとして別格である。この記録を更新した彼の最新アルバム“そうかな”は、ダウンロードで曲を取り込める時代でさえも、60万枚以上の売り上げを伸ばしている。さらに“自己ベスト”では、250万枚を突破した。また、2005年には、さいたまスーパーアリーナで国内ツアーの最終公演を行い、その感動のクライマックスの模様は、テレビでも放映された。 さらには、アジアでもツアーを行ったことがある。こうした活動以外にも、およそ30人以上のアーティストたちによって曲をカバーされている。では、いたって素朴な質問をあげてみよう。これは、富や名声をいったもの気に留めないセリプリティーを言えるだろうか?私は、疑わざるをえなかった。

しかし、私が小田和正について見たもの、聞いたものの全てから、彼はしっかりと自分のプライオリティーをもっている、と感じることができた。彼は、ミュージックビジネスの世界で働いている。しかしそれは、音楽を通しファンや仲間を愛し、そしてその音楽こそがみんなを幸せにしているのである。私はそれを確証した。

この記事を書く当たってDVDボックスをいただいた。そこには、わずかな観衆と親しくパフォーマンスを行っている小田の貴重な一連の映像が流れていた。これは2004年、彼がテレビ局のTBSから音楽番組の依頼を再び受けて、演奏を行った11回の放送分が収録されているものである。この番組は、2001年から2003年に放送されていた、“クリスマスの約束”から引き続いて放送だれたものだ。はじめにこの番組の依頼をもちかけらたとき、小田和正は依頼を断ったという。しかし、TBS側は、小田自身でテーマを設定するという条件を提示し、再度依頼をかけた。最終的に小田は、自分の好きなセッティングで行う、ということで合意した。そのセッティングとは、観客と親密に打ち解けるステージである。これが、私が見た“風のようにうたが流れていた”というスペシャル番組のDVDだ。

小田は喫茶店からスーパーアリーナといったあらゆる場所で演奏をしたことがある。しかしこの、“風のようにうたが流れていた”では、シンプルだけれどもでもエレガントで仕上がったステージを選んでいる。八角形の形をした木製のフロアに、観客200人のための丸椅子が設置され、ステージの周りを観客が取り囲むようになっていた。また、照明は蛍光灯のように強い光のものはなく、小さなスポットライトが直接ピンポイントに照らし出され、最小限の光で抑えられており、それは結局、観客もまたショーの一員となるよう、小田の工夫が施されていたのである。

小田はこのシリーズのなかで、バンドをバックにビートルズの“Let it Be”を披露している。私は、多くのアマチュアやプロバンドがこの曲を演奏するのを聞いた事がある。しかしこの演奏を聞いて、私は、背筋に悪寒が走るのを感じた。音の響きや楽器は晩年の頃のFab Fourを彷彿させるものがある。

またそれだけでなく、バックコーラスには数人の小学生たちが参加している。ビートルズの曲が終わると、小田は子ともたちをステージから退場させずに、ショーを彼らに引き渡したのだ。子どもたちとともにステージの上に座り、彼らにクリスマスキャロルをリクエストした。そして曲が終わると“アーメン”の意味を小田が、子どもたちに説明している姿が映し出されていた。私は、こうして観客とともに短い曲を一緒に歌うアーティストを、今まで見てきた事がある。しかしこの場合は、子どもたちに歌わせて、彼らが中心となるようになっていたのだ。私は小田和正の素晴らしさを感じた。というのも、彼だけがスポットライトを独占するでもなく、周りの全ての人ととも歌っているのだ。音楽は私たち人類全てに所有するものなのだと、信じている小田和正のその姿、私に衝撃を与えた。

小田和正の音楽についてさらに言えることがある。彼は80年代にスマッシュヒットした“Yes
Yes Yes”や21世紀初頭にテレビドラマの有名なテーマソングを出し、成功者と書かれている。それにもかかわらず、若い頃に聞いた音楽が今の彼を形成していることを、小田和正は知っているだ。この意見は言うまでもないかもしれないが、新しい音楽を生み出そうとするアーティストに対して、今までにない印象を与えている。オリジナリティーを求めるアーティストは、過去の音楽の原点は、自らが聞いて育った音楽にある。と言及したのだ。それは、新しい音楽を追求するアーティストとは、180度違った考え方なのである。

TVスペシャルの中で、ミュージシャンたちとともに、彼ら自身が製作した音楽も演奏している。もちろん、日本の昔の歌謡曲も含まれており、またアメリカの50年代、そして60年代初頭にまで遡る、かなり多くの曲を演奏していた。1950年代に憧れだったニールセダカやピーター・ポール&マリー版でボブ・ディラン作詞の“Blowin'in the wind”といった曲で私たちを青春時代へと誘う。このボブ・ディランの歌が終了したのち、小田はオリジナルの“blowing in the wind”への熱い想いを語った。ここにきてもう一度彼が深く音楽を愛する者であり、また友人や仲間としてみんなと音楽を楽しむことを愛する人物だ、ということが感じられた。

おそらくこのテレビスペシャルの最も忘れがたいものは、“Moon River”のパフォーマンスだ。アンディ・ウィリアムが演奏した“Moon River”は、小田和正がはじめて買ったレコードだという。英語圏の読者は、日本では45回転がドーナツと呼ばれていることを知ると面白いだろう。小田は、このように述べた。「もしプロ野球選手になれなかったら、“Moon River”で感動したように、自分も人々の心を動かす音楽を創っていこう、と思っていた。」そして、これこそが小田和正を動かしているものだ。“Moon River”の歌詞のように、揺らめく川に照らされた、輝く月の光は、人々の深い感情を呼び覚ます。そして小田にとっては、人々の魂を動かす音楽の力こそが、音楽を愛する原動力となっているのだ。名声やお金は忘れよう。美しい音楽を奏でることによって気持ちを分かち合いたいのだ。

私は、自分たちの音楽、ヘヴィメタやパンクといったものだけが最高だ。と思っているミュージシャンたちに出会ったことがある。ここでまた小田和正がどれほど大きな心の持ち主であるのかが分かるであろう。私は音楽用語として、“エレクティック・キング”と呼ばせていただきたい。それは、幅広い音楽を分け隔てなく受け入れ、そしていい音楽を愛好しているのだ。いい音楽とは何かという定義づけはたくさんある。しかし彼にとっては、もしその音楽が人にとって感動したものなのであれば、それがいい音楽なのだ。そして私自身も同感する。音楽を広汎に愛することは、まったく間違ったことではない。

傑出したDVDボックス“風のようにうたが流れていた”では、演歌歌手の島倉千代子や60年代のロックバンド“ザ・スパイダーズ”のようなあらゆるジャンルのゲストが招待された。こうしたゲスト達の年齢は60代になり、彼らは自分たちの声が昔と比べて変わってしまったことを恐れていた。そこで小田は「みんな時とともに年齢を重ねるんだ。ただ音楽を楽しめばいいじゃないか」と言い放った。このコメントは50歳を越えた人々に最も嬉しい言葉だ。しかし小田は、今年で60歳を迎える。そしてまだ彼は人々の心を動かす音楽に専念している。私は50年以上音楽を聞きそして20年以上批評をしている。しかし私は、小田が私の人生に新鮮な音楽の風を吹き込んでくれたことを認めよう。そしてそれを心から感謝したい。

仲間と一緒にいる時間や、私たちの心を豊かにしてくれる音楽によってもたらされる喜びというものは、人生においてかけがいのないものである。こういったことこそが、小田和正の幸せであり、それは決してお金で買えるものではない。 

※外国人評論家が、日本の音楽(ミュージシャン)を海外向け雑誌に書かれた記事を日本語に訳したものです。

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