明治安田生命 presents 小田和正コンサート「その日が来るまで」

2011/02/09

好きなことを追い求めて

早稲田大学学園誌 新鐘 No.63 WINTER/2000

特集「音楽」 

「好きなことを求めて」小田和正

89年のオフコースの解散ツアーを見た。
さよなら、さよなら、さよなら。熱い日々。
愛したのは確かに君だけ・・・と、会場の全員で歌って泣いた。
あの熱狂と喪失感は何だったのだろう。
あれから11年の月日が流れて、
今こうして目の前に11年の時間をまとった小田さんがいる。
相変わらずシャイな目をして、寡黙なままで。
この人の音楽の魅力を言葉で語るのは難しい。
普遍性と共感とか、そんな単純なものではない。
独断的に言い切れば、メッセージノ一途さが、いい。
痛いほど切なくて、不器用で哀しいのだ。





小田誰にでも、切り離せない本来の自分というものがあると思うんだよね。それはきっと、歳を取ってもなくなりはしないんじゃないかな。

何てピュアな。何て意固地な、何てこだわり。
そうなのだ。彼の魅力はここにある。

小田調節なんてできないタイプなんだよなあ~だからこそ、この力は強い。結局、人間は自分流、好きなように生きていたい、たとえ失うものがあったとしても。

そんな思いを応援してくれる力あるからこそ、聴いていて心地よいのだと思う。
これからまた11年後、間地かに見てみたい人である。

※こんなふうな書き出しで始まる巻頭インタビュー記事ですが・・・その11年後が今年なんですね。
そして・・・3月からツアーで全国を巡る小田さん、どんなふうに変化しているのでしょ?軸のぶれない小田さんだから、基本的な姿勢は同じなのでは?私的には、そんなふうに思っています。

そして・・・
とても印象的な行があるので、ほんの一部分を下記に転載させて頂いています。

小田なるべくキレイに仕事をしたい、純粋に音楽を聴かせる仕事だけやりたいと思っていたんで、
2人の間(やすさん)には仕事に対する意識のギャップがあったかも知れないね。

※当時、ご実家で生活をなさっていた小田さんと違い、家を出て生活していたやすさんは、稼がなければ生計が立たなかったわけだから...
当然のように「意識のギャップ」は生じると思われます。

小田「オフコース」で売れた時には30代の前半になっていたけど、50歳、60歳になってもやっていける、
音楽で食っていけるとはとても思えなかった。
音楽で生計を立てていこうと本気で思ったのは、グループを解散した後になってから、1人になって、会社を作った辺りかな。
会社を作ったら事務所の家賃をまず払わなくちゃならない。それで、とにかく稼がなきゃって、俺にとって、それが本当の意味でのプロとしてのスタートだったかもしれない。

※ひとりになった小田さんは、プロ意識とともに方向性も微妙に変化してゆく。

小田今ツアーが3分の2終わった状態。今回はかなりきつかったなぁ。昔は疲れが溜まるってことがよくわからなかったけどね。
今は、すっかりわかるようになった。分かっちゃまずいんだけど(笑)。
俺はどちらかと言えば何事も真剣勝負、真っしぐらに突き進んでしまうタイプだね。とくに、ステージに立つと100%、それ以上出さなきゃって思っちゃう。
調節なんてできないんだよね。

※このインタビューに応えているのが2000年の夏頃、この年は、5月11日から全国60公演をなさって、アルバム「個人主義」を4月リリースして、全国飛び回っていた小田さん。
インタビューの中にあるように「ステージに立つと100%以上の力を発揮しないと納得が行かない」と仰る言葉が・・・
今も同じなんだよね。
走って走って走りまくったツアー、2005年も2009年も、張り切りすぎて「けが」のおまけまで付いてしまいましたね。

保存していた文章を読み返していたのですが、当時、読まれた方でも11年も経つと記憶の奥に入ってしまっているかも知れませし、読んだ記憶の無い人に読んで頂けたらいいなぁ~って思い、ルール違反承知で書かせて頂きました。
写真もいっぱいあり、記事も何ページもある中のほんの一部分ですけど。。。

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