明治安田生命 presents 小田和正コンサート「その日が来るまで」

2011/02/17

筑紫哲也

筑紫さんが、自ら「NEWS23」でがんの告白をしたのが2007年5月14日。
そして、2008年11月7日肺がんのため73歳で・・・
様々な治療のおこなうが・・・結果は捗々しくなく、約一年と半年で旅立ってしまわれた。

このNEWSを聞いた時、ほんとうにショックだったことを思いだす。
アサヒジャーナルの愛読者(学生時代)であった私は、筑紫さんが編集長(1984年1月)になられた時、ほんとうに嬉しかった。
穏やかな物腰と、理路整然と語る筑紫さんの佇まいが・・・魅力だった。

小田さん、筑紫さん、姜尚中(カン・サンジュン)さん、三者三様なんですが・・・
どこか似通ったところのある、この方たちが大好きなのです。
個性的と言えば個性的と言えるお三人なのですが、計り知れない魅力をお持ちなではと思う。
どんな場面に遭遇しても、その、ひょうひょうとしているところは同じかも?なんて感じる。

手紙を認めるのが大好きだった言われる筑紫さんですが、他分野の様々な人に手紙で近況報告を。。。
その中のお一人が・・・小田和正さん。
“筑紫さんは、奥様の好きな小田和正さんに、いつからか惹かれるようになっていた”と。。。
そして・・・筑紫さんからの「最後の手紙」は、クリスマスの約束2008で紹介されてたのです。
以下、その手紙の文面のご紹介です。(転載お許しを)


出来の悪いOBですが・・・
小田和正様      筑紫哲也
本当に長いご無沙汰が続いています。
その何よりの証拠は、わが事務所に問い合わせたところ、季節のご挨拶は転居先不明で戻って来るとのこと。当方の怠慢ですが。
実は年末、例のライブ特番を二度連続観る幸運に恵まれました。
前日、関東に居て、翌日関西に移動、TBSとMBSと放送日がずれていたのです。
素晴らしいショーでした。
MCを原稿手持ちでやる人をあまり見たことはないが、小田さんらしい素朴さが伝わりました。
世界中で、ジャンルはちがっても、年齢を重ねると声がかえって透明感と強さを増す例外的存在がいるのですが、それにしても、この高音ですから、驚異的です。
さださんとの「たとえば」は、“年輪”というものが、こういう作品を生み出せるのだと感銘したのですが、一方で早大グリーの後輩たちとのシークエンスも、楽しく拝見しました。
実は、私も出来の悪いOB(セカンドベース)なのですが、半世紀と変わらず奉仕園で練習をやっているのに笑ってしまいました。
あそこは、教会なのでよくハモる。それで自分たちはうまいと錯覚してしまう場所なのです。
私は昨年春、肺がんを発病、番組などはほぼ休んでいて、時々、節目、節目に世間に顔を出す生活が続いていますが、大学(京都、その前は早大、大学院でも)で教えるのは続けています。
抗がん剤の副作用で毛の抜ける時は毛糸帽子をかぶるのですが、この間の大講義で「小田和正さんのような帽子をかぶって」と言ったら、ドッと笑いが返ってきました。
山口百恵を全く知らない子たちも出てきているなかで、小田和正は別格、すごいなと思いました。
とにかく、良いものを観せていただいて一言Thank youと言いたくてお便りしました。
ツアーのご成功を祈ります。
「たとえば」必ずCD化して下さいね。
敬具
2008.1.26







筑紫さんへ
例年になく寒い冬の日が続いていますがその後元気にされていますか。
年少の自分こそ無沙汰の体たらく、恥じ入るばかりです。
昨年の「ニュース23」降板された時もほんとうに驚いて何かメッセージをと考えましたが、重大な時に気の利かないことしか書けそうになくつい気後れし、復帰された時は「あ、前より太ったんじゃん」と勝手に喜んで安心したりしていました。
さて番組の感想をいただいてこれまたびっくり、感激しました。
人生の中でこんなふうに心が浮き上がるような嬉しい瞬間というのは滅多に訪れません、ほんとうにありがとうございます。
辛い想いをして頑張った甲斐があるというものです。
人には頑張ればきっと誰かが見てくれているんだからと言ってきました。でも自分のこととなるとどうにも挫けそうになります。
これでまた強い声でみんなを説得できそうです。葵の御紋みたいですが。
60になったら突然、成し遂げたいと思う気持ち、そして体力が弱まったように感じます。
勘違いならいいのですがこれが還暦というものなのかと納得したりしています。
でも幸せにも、やりたいこと、やらなくてはいけないことが少なからずあるようです。
もう一度自分を立て直して頑張ってみます。
折が合ったらまた元気の出る話を聞かせてください。
筑紫さんがせいいっぱい養生してバリバリの現役を続けて行かれることを心から祈っています。
           小田和正
           2008.2.3



「利がないことしか書けそうになくつい気後れし」
・・・小田さんのこの言葉を、うんうん、うんうん、と頷いてしまいました。
心の中ではとても心配なさっていたんだなぁ~ってことも。。。
「手紙魔」なんて書かれていましたけど、きっと、きっと、心の深いところで淋しかったのでは?なんて思うのですけど。。。

映画「緑の街」を撮られたころだったと思いますが、小田さんと筑紫さんの対談がありました。
二人で、早稲田大学の構内を歩く姿がとても印象的だったことを思い出します。
ほんとうに、大切な人を失ってしまったなぁ~って今でも思います。
もっと、もっと・・・ジャーナリスト筑紫哲也に語って頂きたかった。。。

そして・・・
小田さんが大好きな奥様、どこかの会場で小田さんを見つめているかも知れませんね。
筑紫さんも、奥様の心の中で・・・小田さんを見守ってくれていたらいいね♪

0 件のコメント: